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傷つけようとしているわけじゃない



先日、愛馬のチョコちゃんがレッスンのあと、わたしの腕を軽く噛んできました。

その瞬間、わたしはとてもショックを受けました。というのも、今までチョコちゃんに噛まれたことなんて一度もなかったからです。


でも少し時間が経ってから、その出来事を振り返ってみたとき、「これはただのアクシデントではなかったのかもしれない」と思いはじめました。

これは、わたしに何かを伝えようとしてくれているサインだったのかもしれないと。


実は、昨年後半あたりから、チョコちゃんは頭絡(とうらく)をする時に、騎乗者を急に噛もうとするようになっていました。

きっかけは、ある会員さんが本来そのスキルでは使用しないハミを使ってしまい、チョコちゃんの口の中が切れて血だらけになってしまったこと。

あのときの痛みと恐怖が、チョコちゃんの記憶に強く刻まれてしまったのです。


それ以来、頭絡のたびに、その体験がフラッシュバックのようによみがえり、チョコちゃんは体全体で抵抗するようになっていました。


わたしは「可哀想なチョコちゃん。なんとかしてあげたい。少しでも楽にしてあげられたら」と思っていました。

そして色々なツールを使ってみましたが、多少の変化はあっても、大きな変化は見られませんでした。


そして今回、私が“なんとかしてあげなきゃ”と強く思っていたことに気づきました。


そして気づいたのは「可哀想だ」と思うことで、わたしがチョコちゃんを過去に閉じ込めてしまっていたかもしれない、ということ。


頭絡をつけるときに、チョコちゃんが騎乗者を噛もうとする話を聞くたびに、

『嫌な経験があるから仕方ないよね』と、私はつい言っていました。


チョコちゃんは、もうその出来事を超えようとしているのに、手放せないようにしていたのは、実はわたしの方だったのです。


感情に飲み込まれるのではなく、

「ここに、まだ気づいていない何かがあるとしたら?」

「ほかにどんな可能性がある?」

そう問いかけることこそが、わたしにできる本当の貢献でした。


レッスンのあと、チョコちゃんがわたしを軽く噛んだのは、ただの“攻撃”ではなく、

「もう私は過去を手放していい。でも、あなたはどう?」というメッセージだったのかもしれません。


一見、痛みを伴うような出来事も、実は動物たちが私たちを“気づき”へと導くために見せてくれるサインだったりします。

私たちが感情に振り回されることなく、そのメッセージに耳を傾けることができたら――

動物との関係は、ただの“しつけ”や“ケア”を超えて、深い信頼とつながりに変わっていきます。


動物たちは、いつも私たちに語りかけています。

その声はとても繊細で、やさしく、時に大胆で、愛にあふれています。

わたしたちが“聴く準備”をするとき、その対話がはじまります。


もしあなたも、その扉を少し開いてみたいと思ったら——

わたしと一緒に、その一歩を踏み出してみませんか?


→ Talk to The Animals/ 動物と話そう:https://www.tsunagulator.com/ttta

 
 
 

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